戻ってくる日常。

カフカの「変身」の最後の部分を
原語で読む機会がありまして。
ピクニックかなんかに行って
元気になった娘の姿を眺めながら
ザムザの両親が物思いするところ。
彼の不在はもう、彼らの中では消化されている。
日常というものは
たやすく崩れる脆さを孕みつつ
何よりも堅固な持続性を手放さないのです。


あんなに嫌いだったカフカとかカミュとか
アイロニー満点系を無性に欲してるのは
私が病んでるからでしょうな。


日常をぶち壊すことは
果たして出来るんでしょうかね。
日々違うことをし続けるとか。
起きて顔洗ってご飯食べて着替えて・・・っていう
ごくごく基本的なルーティンを吹っ飛ばして
毎日を生きるという。
日常という概念を壊す。
いわゆる一つの脱構築


出来たら多分
今頃私はこんなに鬱じゃないでしょう。