確かにその時、あなたの隣に私はいた。

最近タイトルがどんどん内容とかけ離れていってます。
ポエトリーですよ。なんだか。


えー寝坊。寝坊しました。数年ぶり。
あせっちゃってねぇ。
親に文句つけても返す刀で怒られるし。
久々にものすごいエキサイトしました。
手首ガリガリに引っ掻いちゃいましたよ。
さすがに剃刀とか持ち出す冷静さと時間的余裕は持ち合わせてなかったけど。


エキサイト過ぎると今度は妙にまったりモードで
ゆーっくり登校。
電車の中でゼミで提出するプリントを忘れてきたことに気づく。
ノートのコピーなんだけど原本は持ってたんで何とかセーフ。
あれ出さないと出席にみなしてもらえないんだよー。
で、学校着いてコピーするも焦るあまりに
2枚のうちのかたっぽをコピー機に置き去りに。
・・・・提出出来ず。orz


でもO教授は優しいので謝ったら後でいいと。
あー腹ん中では何考えてんだろ。こわこわ。


授業後に友達につられてアイリッシュで一杯。
食うだけ食って帰る。だって今日肉豆腐だったんだもん。


てなわけで今日の内訳。食い過ぎだなー。

  • 朝ごはん
    • おかかじゃこのおにぎり。お味噌汁。焼き鮭。
  • 昼ごはん
    • 天むすと胡麻鮭おにぎり。よもぎの蒸しパン。黒ごまプリン。
  • 晩ごはん
  • 間食
    • まったくなーし。



あーギリシャ語やんなきゃ。


右手首がきたない。
折角リスカの跡消えかけてきたのになー。
でも消えちゃうのが哀しかったというのも事実で。
あれがあったから私はいろんなことを思い留まれたわけだし
同時に一番辛かった時期を忘れさせない、有難い楔でもある。
跡が消えそうになってきたから、鬱になったのかも。
逆説的だけど、実は結構的を射てる。


鬱になると、っていうか調子が悪くなると
自然がすごく綺麗に見える。
なんか必要以上に細かいところ、
例えば木を見上げれば枝先の葉っぱとか
そういうところが、ゆっくり大きく見えて
全てがきらきらして、すっごい綺麗に見えるの。
これは私だけなのかと思ってたんだけど
パニック障害と鬱持ちの友達と話してたら
彼女もそんな経験があるって。
普通に健常に過ごしてたらわからないようなことが
精神を病んでる人にはわかるんじゃないかな。
空気とか時間とか、見えないものへの感覚が鋭くなるし。
ホント極端な話、一番落ちてて高校行くのはおろか
外に出るのも一仕事だった時期なんて
窓開けて吸った空気の匂いすら毎日違ってて
時間も私のまわりだけ普通の人より相当ゆっくり流れてたと思う。
あれは元気なときには決して味わえない。


この経験を思い返すたびに浮かぶのが南方熊楠の話。
南方は病で床についていて、もう限界かという程に容態が悪化して
家族が医者を呼ぼうとしたとき、こう言ったという。
「天井に紫のきれいな花がいっぱい咲いている。
医者を呼ぶと消えてしまうので呼ばないでくれ」
それは結局、南方の最期の言葉になった。


死への恐怖よりも南方の心を揺さぶった花の美しさ。
それは、私が見たあの景色と繋がるものがある。


どん底の中にいて、唯一輝いて見えるもの。
それは何より愛しくて、何より切ない。