我に返ってみると

私、こんなことしてていいんだろうか。
(こんなこと→テレビを見ながら爪を磨いてまったり。)


ドイツ語とかラテン語講読とか
フィヒテを読むとか結構忘れてたりします。
あー考えたくない。


やっぱり世の中ちゅうのは世知辛いんだなと。
私のこんな行き詰まりなんて序の口にも及ばないんだなと。
日々のニュースを見てると思うわけですよ。
なんか哲学とかいって結局道楽じゃねぇのとか思っちゃったり。
いや、そうじゃないとは考えてるけども。
例えば苦しんでいる人を目の前にして
いくら真理に近づこうとしたところで
その人の痛みが消えるとか、お腹が満たされるなんてことは
絶対に無いわけであって
彼にとっての真理はそこにあるんですよね、きっと。
その二段構えの真理の一致を目指すことが
本当のところ哲学の担う最も重要な問題のひとつなんじゃないかと
最近常々考えている次第であります。


そこで思うのが
歴史に名の残る哲学者は
経済的な援助を誰かしらにしてもらったり
ものすごいおぼっちゃまだったり
というケースが少なからずあるのです。
まぁ赤貧芋を洗うみたいな生活してた人だって
そらもちろんいますけれども。
でもどちらかというと傾向的に(特に文学者なんかと比べてみると)
食うに困らなかった人が圧倒的に多い。
これって哲学という学問を如実に表してると思いませんか?
私だけかも。


うーんこんなんでいいのかなぁ。
という自己反省を常に伴わない哲学者はいけん!
と某教授が言ってたような記憶があるな。
ただしあの時彼は酔ってたが。