重要なのは病から癒えることではない。病みつつ生きることだ。

カミュです。
「異邦人」が嫌いだったけど。


病んでるなぁと感じる瞬間。
誰かと酒を飲んでて、でもつまらない。
嗚呼、それは人の悪口が出てこないからだ。


私は人を憎まずには生きられない。


今日は帰りに買い物に行ったんですが
結局何も買わずに帰ってきますた・・・。
自分の優柔不断さと欲しいモノの見つからなさに
だんだん鬱になってくんだよねー。
最後にはファッションなんてそんなもん・・・みたいな
ものすごく暗い心持になって
ため息の固まりみたいな満員電車に揺られて帰るのです。


桜桃忌も行けそうにないし。
今度の土曜に独りで太宰を偲ぶ旅にでも出ようか。
そういえば今日の朝日新聞
江上剛太宰治についてのコラムを書いてたけど
あれはちょっと賛同しかねますね。
自殺じゃない、って話なんだけど
だからって割と今でもメインストリームな他殺説でもなし。
酔っ払って死んだという井伏鱒二の言葉を借りてます。
ま、私個人としては
やっぱり最終的には他殺だったのじゃないかと思いますが。
現場に下駄で突っ張った跡とか手の跡があったのは確かだし。
死のうと言われて快諾したとは思うのです。
でもいざ死ぬ段になって抵抗したんだろうと。
だから遺書もあるんだけど
でも最終的な結果論としては他殺。
閑話休題
江上氏は「もっと小説が書きたかっただろうに」と述べていて
太宰の死は不慮のもので
彼が可哀想と言わんばかりなんですが
私としては
書きたくなくなったから死んだような気がするのです。
もちろんそれは一時的な衝動に近いものだったんだろうけど
彼が境界性人格障害だったという見解が当たってたとしたら
これは充分妥当性があると思いますよ。
そもそも太宰は書きたくて書いていたというよりも
書かざるをえなかったんじゃないでしょうか。
創作をすることで生き永らえていたというか。
「生きていようと思ったから書いた」みたいなフレーズが
結構いろんなとこに見当たりますし。


たぶん、その瞬間は
本当に死にたいと思ってたと思うんです。
生きてることのほうが、死ぬことよりも
ずっと辛くて耐え難かったんだと。
どこまで続くか知れないような
気の遠くなるほどの空虚の前で
ひとつの扉を
どうしても開けたくなってしまったんだと。
歩くことに疲れてしまったから。