理由がわからないことが一番の理由になるのです。

卒業した予備校(この表現は実は変)に
遊びに行ってきました。
すごーく自己嫌悪に陥ったので
今日は何も語りたくありません。


無理矢理テンション上げすぎて疲れちゃった。
「変わってないね」と事務の人は言ったけど
それはそんな風にふるまってるだけだ。
哲学科ってある意味
精神的な自殺でもある気がするなぁ。
学部なんてそんな深刻じゃないが
でもやっぱり少なからずどっかで
今まであった自分を全部ご破算にしてみよう
っていう向きがあるんじゃないでしょうか。
変わってないんじゃなくて
なくしてしまったものを一時的に復活させてるだけ。
でも歪みは直ってないから
未だにきりきり締め付けられるのです。


もうひとつ。
電話来てから情緒不安定。
ホントやめてほしい。
どっちつかずは最悪です。
でもね今日、ある男友達に
「電話一本とかメール一通で
こんなに動揺させられる相手ってすごくね?」
と言われて、うーんと唸ってしまった。
私の中でそれは相手の問題じゃなくて
自分がどれだけ好きなのかを示すことなんだと
認識してたもんだから。
考えてみると相手のことって
考えてるようで考えてない。
現代人は愛の問題というと
真っ先に「愛されること」を考えるもんだと
フロムは言ってたが
私の場合、逆なんだな。
あんまり愛されたい願望って無いんですよ。
それよりも自分の感情が振れるのが大事。
余りに(いろんな意味で)愛情の無い家庭だったので。
普通ならそこで「愛してほしい」と思うように
進んでいくように考えるもんだが
実はそうでもなくて
もう向こう側から「愛されること」には見切りをつけて
自分から愛せば、愛してくれるんじゃないかと
最後の乞いをしてるんだと思う。


彼がどうこうしようと
私が一見無関心を装っているのは
単に強がりなだけじゃなく
別に愛されようとは思ってないんだと
どこかで伝えようとしてるんだろう。
さみしいことだけど
これはきっと真実だ。